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大分交通柞原線・机張原線・東八幡線休止(2024/9)

 2024年9月30日。五号地・大分駅と西大分・八幡地区を結ぶ大分交通柞原線・机張原線・東八幡線が休止となりました。長いこと「かんたん」が最寄りバス停だったことがあり、また現在もまだ沿線近くに在住であり、物心ついてから35年程度は買い物に通勤に密着してお世話になっていた路線でした。

 柞原に乗合自動車が通ったのは1932年9月で、大分交通の前身である別府大分電鉄がかんたん~柞原八幡間に路線を開設したのが始まりといわれます。当時は大分~かんたん~別府間に同社の路面電車が走っており、これに接続する形で乗合バスの路線を作ったようです。戦時中のガソリン不足による路線休止を挟みましたが、1959年4月には下八幡~机張原間の路線免許を得て路線を延長。その後1970年に五号地に新車庫が出来たことから、このあたりで現在の五号地(本社・車庫)~大分駅~柞原・机張原の運行系統が出来上がったのではないかと思われます(推測)。1967年に机張原からさらに奥の高崎へ路線延長、いつごろまであったのか詳細は不明ですが、1990年時点では残っていたことを確認。また1972年に西大分駅前分岐~かんたん間免許とあり、この時に浜の市商店街の旧国道経由になったものと思われます)※ここまでの参考:大分交通40年のあゆみ(国会図書館デジタルコレクション)

 2009年4月に下八幡行きが新道バイパスを利用した循環系統となり東八幡行に変更、若干の利便性向上が図られました。なお東八幡行きといいつつ最終はもう一つ先の下坂本が終点、始発は東八幡を通らない県道の中大山が始発でした。
 1990年代には3系統合わせて1時間に2~3本程度の本数が運行されていましたが、近年は本数削減が続き最後の2024春ダイヤでは平日概ね1時間ヘッドの10往復、休日概ね2時間ヘッドの6往復まで減少していました。(参考:平日の大分駅方面かんたんバス停通過本数 1991年33本→2005年27本→2009年22本→2015年18本→2016~2024年10本)終点の人口規模のわりには本数が多かったですが、これは主に西大分~大分駅間の市街地輸送が軸だったからと言えます。
 系統も40m道路を走る新川経由と国道を走る西春日町経由が運行され、朝には田室町経由も存在しました。(最終ダイヤでは概ね西春日町経由に統一)

柞原線前面展望(他サイトのものです)
机張原線前面展望(他サイトのものです)

 柞原線・机張原線ともに離合困難な狭隘区間があり、だいぶ道路改良はされたものの柞原線の一番奥(天神前~柞原間)や机張原線の東八幡付近(下八幡~上坂本間)ではかなり対向車に気を遣う路線でした。ただそれ以外の特色は特にはなく、典型的な中心部から郊外へ向かうローカル路線でした。

 さて、最終日の9月30日。休みではあったのでそれぞれの最終便に乗りに行くか、と思い立ち。西大分駅前→机張原、机張原→一の坂(机張原発最終)、かんたん→柞原(柞原行最終)、柞原→大分駅(柞原発最終)、大分駅→下坂本(東八幡行最終)の順番でバスに乗ってきました。


 さすがに平日なので乗車するバス愛好家らしき人は全く見当たらず、沿線で数人見かけたくらい。
 最初の机張原往復はいつも通り地元住民を数人乗せて走るのみでほぼ普段通りの姿で終焉(机張原行自体はもう一本後がありその状況は不明)。折り返しを一の坂で降りて、かんたん交差点の渋滞につかまっている隙に追い抜いて鳥居の通過を撮影。

 そこからすぐのかんたんから柞原行の最終を捕まえてこんどは柞原へ。こっちは地元の方が最後だからと記念の往復乗車していたほか、終点の柞原と途中の北中で沿線の住民が運転手にお疲れ様と声をかけに来ていました。
 柞原から一気に下り、西大分をスルーして大分駅まで直行。市街地で街行きの人をぼちぼち拾っているが、明日からはもうこのバスは来ないのである。しかし、東生石~西春日町間はスカイタウン高崎行だけとなり本数は大きく減少する。こういう市街地でも結構拾ってたので正直減らして大丈夫か?と心配ではあるのだけど…

 大分駅到着、大分駅にて国大線国東行きの最終便を見送り。こちらも今日が最後の路線で、空港を飛び越えて国東までの2時間20分を運行する長距離バス路線でした。全国的にも知られた路線でカメラを向ける人もちらほら。そしてその裏に佇むは机張原線の最終。こっちに注目している人もゼロではないもののほとんどは国大線を見ており、やはりこっちはドローカル路線でしかないのだなぁと改めて感じました。机張原線最終は少し遅れて国大線最終とほぼ同時に大分駅を発車。その後ろ姿を数人がカメラに抑えていました。

 大分駅で晩飯を食べた後、大分交通柞原・机張原・東八幡線の最後の一便である1845発の東八幡行に乗車。最終ダイヤでは朝晩の1日1往復だけとなり地味な存在でしたが、かつては途中折り返しの下八幡行として柞原線・机張原線の合間に多数運行され、市内線を補佐する路線でした。
 東八幡行は思ったより多くの乗客を乗せて発車。意外と市街地では誰も降りず、一の坂から先でぼつぼつと降り始めました。皆降車時に今までありがとうございましたとあいさつしながら降りていきます。東八幡で最後の人が降り、自分はそのもう一つ先の下坂本で下車。ここが東八幡行きの真の終点。最終便であったがバスはいつも通りの普段使いの人だけで運行され、実にローカルな終焉でした。

 10/1からは「やはたコミュニティバス」となり、大分市運営の市営交通として新たなスタートとなりますが、大分駅への直通廃止にジャンボタクシー化と不安要素はたくさんある状態。あくまでも大分交通としては廃止ではなく休止という体ではありますが、おそらく二度と戻ってくることはないでしょう。そんなコミュニティバスについてはまた記事にしたいと思います。

→こんにちは、やはたコミュニティバス編に続く(いずれ)

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